題名、言葉汚くてすみません。でも今日は誰かに伝えてるというのではなくて、自分に言い聞かせる為の記事なのであえて強く書きました。心当たりのある人は自分の事のように読んでみてください。
自分の過去の栄光をあげるなら高校時代だろう。正直、甲子園に出れたとかいうより、監督の元で人として多くの考え方を学べた事が自分にとって1番の過去の栄光だ。
大学に入っても、高校で学んだ考え方はとても活きたし、充分やれることが分かった。その考え方はこれまでも大切にしてきたし、これからも大切にしていくだろう。
しかし、大学を入学して1年くらい経った時に心の中で何か突っかかるものがあった。
でもそれが何なのか明確には分からなかった。
それが何なのか分かったのは、ブログを始めてからだった。
ブログを始めて記事を書くために何かを感じようとする日々を過ごしている内に、わからなかった何かの答えが見つかった。
それは、
「過去の栄光ばかり語っている」
ということだ。自分は気づけば大学に来てからも高校で学んだ考え方ばかり語っていた。
「過去に学んだ考え方」=「過去の栄光」
とは繋げることが出来なかったからなかなか気づくことが出来なかった。
なぜ、「過去の栄光を語る」ことがダメなのか。
それは、人に嫌われるから、自慢家になってしまうからとかじゃない。
「過去を語る」という事は今の自分が、「過去の自分に負けている」という事を認めてしまう事になるからだ。
今の自分が1番すごいと思うなら過去の栄光を語ることはしない。今の話をするだろう。
今の自分が負けているからこそ、過去の自分を褒め称える。過去の栄光を語る。
自分も気付かぬうちに「過去の栄光」を語っていたんだと思う。でもそれはとても恥ずかしい事だと気づくことが出来た。
ただ、「過去の栄光」は捨てるものじゃない。
「過去の栄光」を持っている人という事はその時に、その栄光を掴む為にそれだけ頑張れたという証拠だ。
自分が言っているのは「過去の栄光を語るな」だ。
「過去の栄光を使うな」とは言っていない。
素晴らしい「過去の栄光」があるなら、それを充分使い、過去の自分を超え、「過去の栄光」を語る暇がないくらい、
「今の自分を語って見せろ。。」