paida's blog

凡人日記

後悔した事。

 

 今年の1月、祖母が亡くなった。

高校、大学と家を出ている自分は、祖母と会う機会は家族の中で1番少なかった。

それでも祖母はいつも優しくしてくれたし、久しぶりに自分の顔を見ては涙を流してくれたこともあった。

 

大学に入り、家族と祖母がぶつかる事が増えた。

だけど遠くにいる自分は何もできなかった。

祖母に対して困ってる事を聞くだけしかできない。時には家族を困らせてる事に腹を立てることもあった。

それでも家族は祖母と向き合い続けていたのに。

 

祖母が亡くなる日、病院から電話が来た。

体調の悪さから驚きはあまりなかったし、自分が悲しいのかすらわからなかった。

しかし昏睡状態の祖母を見て、初めて自分の不甲斐なさに気付かされた。

祖母は自由奔放な人だったが、愛情は沢山くれた。それなのに自分は環境を言い訳にして、家族にも祖母にも何もしてあげられなかった。

悲しみよりも、その不甲斐なさから涙が出た。

 

祖母の死から気付かされた事がある。

人生はいつだってベストタイミングだという事だ。

祖母が亡くなったのは自分の冬帰省、そして亡くなるその日が兵庫に帰る日だった。

昏睡状態の祖母を見なければ、自分はこの事に気づく事ができなかったこと。

 

そして、気づいた時には遅いという事。

環境が整っていないから。と言い訳にしているうちに、祖母は亡くなってしまった。思い立った時に行動しなければ、大切なものは叶えられなかったり、無くなっていってしまう。

だからこそ、思い立った今こそが動く時である。それが不完全であっても、環境が整っていなかったとしても、動かなければ何も得る事はできない。

 思い立った今がベストタイミングなんだ。

 

この事を最後に教えてくれた祖母に感謝して、少しでも悔いのない人生を生きていく。

 

 

 

芯は強く、柔らかく。

 芯が強い人間は良いとよく聞く。間違いないだろう。

芯が強い人間は自分の中にしっかりとした意志があって、やることを曲げない。

成功する人はこういう物を持っているのだろう。

 しかし、芯が「堅い」というのは良いことだけではないと思う。

 芯は強く持つ物だが、頑固になるのとは違うと思う。

芯がある人は、「自分はこれをしたい。」「自分はこうなりたい。」というものが多くあるだろう。

しかし、実際生きていったら、自分の思い通りにならない事なんて沢山あるし、自分がやりたくない事だってやらなければいけない事も出てくるだろう。

そんな時に「これはやりたくないからやらない」そんな堅い意志を持つことが良いと言えないと思う。

 だからこそ、自分の中の芯は強く持っていても、柔らかくなければいけないと自分は思う。

 自分のやりたくない事、面倒臭いこと、自分とは違った意見をもらった時、思い通りにいかない時、そんな時に柔軟な考えで対応しながら、今の自分の芯をそこで定めるのではなく、より太く強いものにする事が大切なのだと自分は思う。

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 最近、『運』について考えている。

振り返れば、自分から見ても、客観的に見ても自分の今までの人生は『運』が良かったと言えるし、言われるだろう。

 運についての名言でよく言われているのは『運は引き寄せる物』だったり、『運は自分で掴む物』などがあると思う。

運についての考えは人それぞれだと思うし、捉え方はひとつじゃないが、自分の中ではどれもしっくりこない。

 今自分が運について1番しっくりくる考えは、『運』なんてものはない。と言う事だ。

 なぜ、という物がないと思うかと言うと、比べるものがないからだ。

自分はこれまでの人生、これ以上があると思った事はない。家族だって、生まれた場所だって、選んだ高校や大学だって、これ以上の所があるなんて思ったことが無い。

だからそう言えるんだ。それは運が良かっただけだ。と言われても仕方がないだろう。

ただ、どの場面でもそこに順応する努力はした。

この道を選択してきて、苦しい事が無かったわけじゃない。それでも努力をしたり、自分が変化すれば必ず順応できた。

だから、これ以上はないと思えることができた。

 これは自分自身だけじゃない。

「あの人は運が良くて、あんな道に行けて羨ましい」などと運のせいにし、人と比べてしまう事があると思う。

しかし、それは何を基準にして『幸運』を決めているのだろう。

『金』か、『名誉』か。

お金があるから運が良いのか。名誉があるから運が良いのか。だから幸せなのか。

それは違うと思う。

どれだけ人よりお金がなくても、名誉なんてなくても、幸せは努力次第でいくらでも作れる。

 自分が経験できなかった道、他人の道で自分が幸せになれたかなんて分からないのだから比べても仕方がない。

『ものは考えよう』だと良く言う。

考え方を変えれば、自分は1番の幸運の持ち主になる事だって出来る。

だからこそ、自分だけのこれ以上のない幸せを掴むために努力は惜しむな。

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一喜一憂

 自分は一喜一憂しない為の考えがある。

それは自分のコップの大きさを把握し、そのコップに入る容量だけ水を注ぐ事だ。

 ここでまず大事なのは自分が持っているコップはどれくらいの大きさなのかを把握する事だ。

考えてみてほしい。目を瞑り、大きさがわからないコップにベストな容量の水を注ぐ事ができるだろうか。

もっと注げるはずなのに注げなかったり、そんなに自分のコップには注げないのに注いでしまって水が溢れ、机が汚れてしまう事になるだろう。 

だからこそ、自分のコップに入るベストの量を入れる為に、自分のコップの大きさを把握する必要がある。

 そして、自分のコップの大きさを知ったら、それに見合った容量の水を注ぐ。

これはコップの大きさを知らなかった時と比べて、簡単な事だ。

そのコップに入る容量の水を入れれば良い。

しかし、一喜一憂する人はそれが出来ない。

なぜなら、喉が渇いているからだ。

 今日自分が伝えたいのは一喜一憂しない為に自分の実力を知って、その実力だけを出す事が大切だという事である。

コップに水が入らないのと一緒で実力も持っている物以上が出る事はない。

いくら相手が強かろうと、今持っている自分の実力で勝負するしかない。

そこで、負けてしまっても今の実力が足りないから仕方ない。

いくら喉が渇いていて、水をたくさん飲みたくても、自分のコップにはそんなに水を注げないのだから足りなくても仕方ない。

 だからそんなところで一喜一憂しても仕方ないのだ。

実力をつけようと思っても、勝負の時が来てしまえば、今持っている物で勝負するしかない。

だから大切なのはそれからだ。

 

 勝負の形は人それぞれ違う。

でも、スポーツにしろ就活にしろ大事なのは本番が先にある本番が終わった後だ。

どれだけ大きいコップをつくるか、どれだけ実力をつけるか。

そして本番の時が来たらそれで勝負したらいい。

もしそれでも足りないのなら、またその後の勝負まで頑張ればいい。

それが、自分の今のベストを出す意味でも、一喜一憂しない意味でも、自分が今できるベストな行動だから。

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勝利

 人生は勝つ事が全てだと思いながら戦わなきゃいけない。

なぜなら、勝ちに執着できないものは負けた時に何も残らないから。

 勝つ為に努力してきた事が勝てなかった時に活きる。

  だから、勝つ事が全てだとおもえ。

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すきにやる。

 人生一度きり。どうせなら好きなことを好きにやりたい。

自分は野球が好きだ。

ただ、自分が野球を好きと気づいたのはほんのここ最近の話だ。

自分が野球が好きだなと気づいたのは投げたり、打ったりするのが楽しいからでも、勝つことが嬉しいからでもない。

面倒臭い、苦しい、辛い。この経験を何度もしてきたはずなのに今まで続けているからこそ、自分は野球が本当に好きなんだと気づいた。

 『楽しい』『好き』で始めた事だろうと、それに向き合えば向き合うだけ苦しくなって嫌になってしまう。

だからって、好きな事をやっても無駄だと思ってるわけじゃない。

むしろこれからも自分は好きなことをやる

しかし、それは楽しいからでもなく、ただ好きだからでもない。

向き合って苦しくなった時に、好きな事なら、頑張ろうと思う事ができるはずだからだ。

 好きだから辛くない。好きだから嫌な事がないなんて事はない。

好きだから続けられる。好きだから乗り越えられる。

 だからこれからも自分は『すきにやる。』

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フレームワーク

 久しぶりの投稿。投稿してなかった理由は色々あるから、説明はしないがブログを書かなかった期間、『考える』ということはやめていなかったので、ブログに書きたい事は沢山あるので後々のせていきたい。

 

 今日は自分の短所について考えた事があったので、書いていく。

自分の短所は沢山あるが、1つ挙げるとするなら、フレームワークが苦手だという事だ。

フレームワークとは簡単に言えば、だったり、基本を大事にして考えるという事だ。

何事でも物事を解決しようと思った時、誰もが考えつくような基本的な考え方というものがあると思う。例えば、チームはこうあるべきだとか、この問題はこう解決するべきとか。

自分はこれをセオリーのようなもの物に感じてしまう。

しかし、実際今まで経験してきて基本通り型通りに物事を片付けられた試しがない。

必ず、やっていくうちに自分の今までの経験や自分の直感を信じて、決断しなければいけない時が来る。

これは当たり前な事で、成功する基本的なセオリーがあったとしても、それぞれの場所にはそれぞれの環境がある為、必ずズレが生じる。

だからこそ、基本や型にはまるという事が苦手だ。

しかし、基本や型を無視すると自分の発想だけに囚われて、客観視する事ができなくなる。

また、直感的に動くという事は時には大成功をすることも出来るが、失敗するリスクも上がる。

そして、失敗してしまった時、客観視ができなくなってしまっている状態だからこそ、自分の発想ではなかなか抜け出す事ができない状況になってしまう。

そんな時に抜け出す方法は1つしかない。基本に戻るという事だ。

自分は高校の時に気づいたことがある。

『答えはいつだってシンプル。』だという事だ。

高校時代、野球の事で沢山悩んだし、自分なりに考えて努力していたと思う。でも毎日やっていると考えてしまったり、思い詰めて行き詰まってしまう事が沢山あった。

そんな時、抜け出せるきっかけになったのはほとんどが、今まで考えてきた事の遥かに簡単な基本のようなシンプルな物だった。

このように行き詰まってしまった時や答えが見つからなかった時に戻るべき場所はやはり基本や型にはまる事が必要なのだ。

 基本は木で表せば、土台であるだろう。そして、自分の経験直感でしかないだろう。

確かに枝がなければ、綺麗な葉や美味しい実は実らないが、いくら枝を集めても幹がなければ、そもそも木にはならない。

 立派で綺麗な木になるように、である基本を大切にしっかり育てていきたい。

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